石黒 葉月|Hazuki Ishiguro
石黒 葉月(いしぐろ・はづき)
一般社団法人日本親子コーチング協会
認定コーチ
自己紹介
【活動地域】富山県/全国(オンライン)
【ニックネーム】葉月さん/はーちゃん
【誕生日】1989年8月2日
【家族】1歳上の旦那様と3歳の息子
【趣味】バレーボール(競技歴と指導歴 21年)
【職歴】元富山県公立中学校英語教員
→現在スポーツメンタルコーチ
コーチとして創りたい世界
自分を信じ自分の未来を信じ
自分の命を大切に
自分の未来を自分で創る子どもを育てる!
スポーツを通し
チャレンジする力
工夫する力
目標をもって行動する力
諦めない心
仲間とやり遂げる力
仲間や指導者とコミュニケーションをとる力
力を出し切るために準備する力など
生きていく上で
大切なことを学べると思っています
スポーツを通して得た経験を
子ども達の人生の財産にし
その後の人生どんなに苦しいことがあっても
自分で乗り越えていける
自分自身で自分が納得のいく選択をし
自分の人生を大切に生きる!
そんな子どもを育てたいと思っています
そのためにスポーツメンタルコーチングを通し、
自分で考え
自分で決め
決めたことを実行する
ための機会を作っています。子どもたちのことを信頼するからこそ、想いを聴き、そして子どもたちが選択する場を作り、そして選択したことを尊重していけると思います。子どもたちが本当にやりたいことを引き出し、子どもたちが選択し、子どもがチャレンジしたことを承認し、背中を押していくことができる大人を増やしたいという想いで今、コーチをしています。
これまでの私
私は15年以上自分自身への葛藤、コミュニケーションの悩みを抱えて過ごしてきました。コーチングに出会うまでずっと
‘人からどう思われるのか’
‘怒られないようにするために頑張る’
‘人からの評価が自分の価値になる’
と思っていました。幼少期からそのように言われて育ってきたので疑いもなく自分自身の価値観になってしまっていました。もちろんそのおかげで味わえた経験や見ることができた景色もたくさんあります。ただ人の期待を裏切ってはいけない!とできる自分を演じることに疲れ、やり場のない葛藤から自分自身にあたってしまった時期もあります。
そんな私の「今に活きている私の失敗」と「大きな転機」について書いていきます。
今に活きている私の失敗
・高校選択の時には強豪校6校くらいから推薦は頂くものの、本当はバレーをしたい、だけど強豪校でバレーをする日々が怖く自信がなく進学校を選択したこと。進学校という名前を優先してしまった。
→当時は本当に自分の人生を何となくにしか思っていませんでしたし、いつも人からどう思われるかということを気にしたり、レールにのって人に決めてもらったりする道ばかり選んでおり、自分の本音との向き合い方や自分で決めるということを知らなかった。
・高校時代の部活動でキャプテンをしていた時、「葉月がいるなら部活には行かない」と同級生が誰も部活に来なくなったこと。
チームメイトに自分の気持ちを押し付けすぎ、仲間の想いを聴くというコミュニケーションの取り方ができませんでした。自分の想いをただ伝えることが強くなる秘訣だと思っていました。その時に伝えるだけのコミュニケーションの取り方ではなく、いかに相手の話を聴き、お互いの想いをすり合わせていくかということを気づかせてもらいました。
・高校時代勉強ができず学年200人の最下位をとったこと。
中学時代500点満点で400点以下はとったことがなかった私は、初めて挫折を味わい人生どうでもよくなりました。部活動も勉強もすべてがうまくいかない。自分の未来になんて何の希望ももてませんでしたし、そんな何もできない自分が将来を考えていいと思えませんでした。
・教員時代、学級崩壊をしたこと。
怖い先生の話を子どもたちは聞くからなめられてはいけない!という思い込みから、子どもたちの話を聴くことができませんでした。その一方押しつけの指導も嫌な自分もいて、方向性をみんなで決めたり示したりしないまま自由にさせてしまったところもあり、収集がつかなくなりました。自分はどうありたいのかが定まらず、迷いが子どもたちを混乱させてしまいました。
・教員時代、総勢40人以上で2割は幽霊部員、ゲーマーの集まりの男子バレーボール部の監督になった時。
生徒の話を全く聞かずに練習メニューを決め、生徒には有無を言わさずにとことんやらせる、試合で負けると「お前のせいで負けたんだ!」って怒鳴りつけて、打ち込みを始めるような指導者だったこと。そんな指導を1年半し続け、さらに来ない生徒、ドロップアウトする選手も増え、練習試合に連れて行っては問題を起こして練習停止、生徒は脱走するから探しに行くような時代があったこと。もちろんそんな指導をしていたときは勝てませんでした。
こんな私の大きな転機
・英語偏差値20台、TOEIC300点台から、3県で教員採用試験に合格できたこと。
教員になって「自分のように葛藤しながら生きている子どもの想いを聴ける大人になること。」そしてバレーボール部の顧問になり「バレーというスポーツの面白さを伝えること。」その自分のやりたいに気づき、猛勉強しました。本当にやりたいことに気づき行動さえすれば人生できないことなんてないのだなって実感しました。
・大学の部活動で一時期東海リーグ4部だったバレー部を10年ぶりに2部昇格することに貢献できたこと。
キャプテンとして、高校での教訓を活かし、何気ない日常会話から、具体的に仲間にどんなことが必要だと思っているのか、どんなプレーを伸ばしたらよいと思っているのかなど何でも聞くようにしました。仲間の良さを活かし、想いを引き出しみんなの気持ちを1つに戦うためのコミュケーションを学びました。
・海外留学や海外ボランティアに計3か国行き、コミュニケーションがとれなくても心が表情や態度に表れて通じ合えることを学んだとき。
海外ボランティアでは生活が豊かではなくても今あるものに感謝する心や人との繋がりの中での幸福感に気づけたこと。そんなに一生懸命になりすぎなくても、のんびり力を抜いて、生きていいんだなと、そんな世界があることを知りました。
・バレーを教えたいと思って中学校教員になった私が、1校目はバドミントン部副顧問、2校目は女子バスケットボール部の顧問になったこと。
技術について分からないことが多いからこそ、徹底的に子どもたちに「問いかける」コミュニケーションを学んだこと。この練習の意図は何なのか、選手は何を意識して取り組んでいるのか、もっとこうなりたいと思うけれど出来なくて悩んでいることは何なのかなど、とにかく自分から歩み寄り、「問いかけ、聴く」ということを学ばせてもらいました。
・男子バレー部監督時代、自分にも自分の指導にも自信がなくなり、メンタルトレーナーさんにチームに入ってもらったこと。
子どもたちは言い続けないと変わらない、言わないと出来ないと思い込んでいた私ですが、子どもを1番信用していなかったのは自分だと気づけました。少しずつ子どもたちに「みんなはどうしたいと思っている?」「何が必要だと思う?」「これやってみたけどどう感じた?」とか生徒に問いかけて想いを聴くようにしました。それと同時に自分が大切にしたいことを「私はこう思っているんだけど…」とか「みんなでこんなチームを作りたいんだ」とか伝える努力をしました。その結果地区で負ける弱小男子バレー部が県大会3位、北信越大会ベスト8という結果を手にすることができました。
・これまで3回流産したこと、大切な息子がうまれて育児ができたこと。
自分の人生を見つめ直すきっかけになりました。こんなに命を育むことが大変で、こんなに育てることも大変なのか。こう思うと自分を生んで育ててくれた両親への感謝や、自分が生きていることへの感謝が湧いたとともに、自分の人生をもう一度見つめ直し私は自分の人生をどう生きたいのかと考えるようになりました。育休中にコーチングを学び、自分が大切にしたいことは何なのか、どんなことに心が動くのか、これだけは嫌だということは何なのか。自分の想いと向き合う方法を知り、教員を退職してコーチングをしたいという決意に至りました。
私の想い
私は15年かかりましたが、やっと今までの自分を受け入れ、今までの良いことも悪いこともすべてを学びに変え、自分にも自分の未来にも誇りと希望をもち歩めるようになりました。コーチングを学び、コミュニケーションが変わり、多くの子どもたちが変わる姿も見てきました。コーチングが自分との向き合い方を変え、相手との関わり方も変えていける。本当にコーチングは人生を豊かにしていくと思っています。
自分の人生どうでもいいと思っている人はいないと思います。どうにかしたい、もっとこうなりたい、これやってみたい!でも現実的に無理かもしれない、うまくいかなかったらどうしよう。そんな想いがあなたの行動を止めてしまうと思います。
ただ言いたい。一度きりの人生、やり残したことがないようにしたいと。
あなたはあなたの人生を納得のいくものにできていますか?どんな人生を歩みたいですか?
コーチングをあなたの日常に入れてみてはいかがでしょうか?
日本親子コーチング協会の資格 | 認定コーチ |
---|---|
資格等 | ・MCS-JAPAN認定コーチ |
わたしが主催するイベント一覧 | |
---|---|
コーチングのご依頼について | |
ご提供サービス | |
ブログ | |
ホームページ | |
ishiguro.hazuki@gmail.com | |
SNS |